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<日本最初の有料橋>
長岡京市と向日市の間の川に架かる橋。
橋の名は通行料が一文であったことから。
「知らぬ顔の半兵衛」はここの橋守の名。

住所 : 向日市上植野町吉備寺・長岡京市一文橋2丁目
付近の見所 : 向日神社



(撮影 : 2011年1月1日)

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「一文橋」周辺の道路標識と「小畑川」の河川名標識
「一文橋」周辺の道路標識と「小畑川」の河川名標識
「一文橋」と「小畑川」
「一文橋」と「小畑川」
一文橋
一文橋
欄干にある「一文銭」のオブジェ
欄干にある「一文銭」のオブジェ
「一文橋」の由来の説明
「一文橋」の由来の説明
「西国街道」の石標
「西国街道」の石標

一文橋

京都市の南西、向日市と長岡京市の間を流れる小さな川に、「一文橋(いちもんばし)」という珍しい名前の橋が架かっています。この橋は室町時代に出来た「日本最初の有料橋」といわれ、その通行料が一文であったことから、この名前が付けられたといわれています。
この橋が架かる「小畑川」は、今でこそ堤防が完備して静かな川となっていますが、昔は暴れ川として有名でした。普段は水量も少ないのですが、ひとたび雨が降ればたちまち濁流と化し、何度橋をかけてもそのたびに押し流されていました。橋の修理にはお金がかかるので、橋のたもとに「橋守」を置き、橋を渡る人から一文の通行料を取るようになった、というわけです。
この橋を通る道は「西国街道」、今でいえば東海道または山陽道ですから、参勤交代などにも利用された交通の大動脈。多くの人々がこの橋を渡って旅をしていましたが、たとえ一文でも貧しい人にとっては大金です。通行料を払わずに川を泳いで渡ろうとする人もいて、彼らが橋守に見つかり捕らえられると、その場で斬り捨てられたのだそうです。夜になると殺された人たちの人魂が飛んだともいわれています。
そのような貧しい人たちを可愛そうに想い、川を泳いで渡る人を見ても見ない振りをし、黙って見過ごした優しい橋守の名が半兵衛さん。良く使われる「知らぬ顔の半兵衛」という言葉は、この故事に由来しています。
今は大きくて立派なコンクリート橋となり、当時を偲ぶものはありませんが、橋の欄干には巨大な一文銭のオブジェが置かれています。