TOP > 洛中 >慈眼寺
<七本松通に建つ曹洞宗の寺院>
本堂は書院造りの代表的建築物。
山本梅逸筆「名花十友図」等の文化財を所蔵。
山本梅逸・神沢杜口らの墓がある。

住所 : 京都市上京区出水通七本松東入七番町
付近の見所 : 五劫院観音寺(よなき地蔵)極楽寺



(撮影 : 2011年2月26日)

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慈眼寺参山門
慈眼寺山門
「曹洞宗慈眼寺」の表札
「曹洞宗慈眼寺」の表札
山門横にある「山本梅逸先生墓所」の石柱
山門横にある「山本梅逸先生墓所」の石柱
庫裏
庫 裏
本堂
本 堂
地蔵堂
地蔵堂
鐘楼
鐘 楼
山本梅逸の墓
山本梅逸の墓
佐々陸奥守成政とその正室の墓(五輪塔)
佐々陸奥守成政とその正室の墓(五輪塔)
境内にあった祠(名は分かりませんでした)
境内にあった祠(名は分かりませんでした)

慈眼寺

慈眼寺(じげんじ)は、千本通と御前通との間にある七本松通に沿って建つ曹洞宗の寺院で、丸太町通から300mあまり北の地点になります。
安土桃山時代の天正16年(1588)に、公卿・鷹司信房の北の方(要するに妻)であった輝子(嶽星院)が、父の熊本城主・佐々陸奥守成政(さつさむつのかみなりまさ)の菩提を弔うために建立したとわれます。
本堂は1937年に再建された書院造りの代表的建築物で、江戸時代末期の南画家・山本梅逸の筆による「名花十友図」等、多くの文化財も所蔵しています。
外観上はこれといった特徴もない地味なお寺ですが、墓地には上に書きました山本梅逸のお墓があります。山本梅逸(1783〜1856)は、尾張名古屋の彫刻師の家に生まれ、京都で花鳥画を学んだ後、尾張藩に絵師として仕えました。花鳥山水画に秀で、横笛、煎茶道にも通じていたといわれます。山門の横には「山本梅逸先生墓所」の石柱が立っています。
またこの墓地には、佐々陸奥守成政とその正室・慈光院の墓といわれる五輪塔(「佐々陸奥守成政公 奥方慈光院殿」と書かれた石碑のすぐ後ろにあるもの)や、江戸時代中期の京都町奉行与力で俳人・随筆家の神沢杜口 (かんざわとこう。1710〜1795)の墓(スミマセン。探したのですが、見つけられませんでした)もあります。