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<真言宗「御寺泉涌寺」の塔頭>
ご本尊は巨大な釈迦如来立像。
後水尾天皇の身代りとなった伝説で有名。
伊東甲子太郎ら御陵衛士の墓がある。

住所 : 京都市東山区泉涌寺山内町29
公式HP : http://www.kaikouji.com/
付近の見所 : 泉涌寺


(撮影 : 2010年11月27日)

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戒光寺の山門
戒光寺の山門
「身代わり丈六釈迦如来」と書かれた提灯
「身代わり丈六釈迦如来」と書かれた提灯
境内の様子
境内の様子
戒光寺本堂
戒光寺本堂
泉山融通弁財天
泉山融通弁財天
「子育て地蔵尊」と「修行大師尊像」
「子育て地蔵尊」と「修行大師尊像」

戒光寺

戒光寺(かいこうじ)は丈六戒光寺ともいわれ、皇室の菩提所である真言宗の寺院「御寺泉涌寺」の塔頭のひとつです。
鎌倉時代の安貞2年(1228)に後堀河天皇の勅願所として、猪熊八条(京都駅のすぐ南の通を西へ500mほど行ったところ)に創建されました。応仁の乱などで消失・移転した後、正保2年(1645)に後水尾天皇によって泉涌寺の塔頭とされ、現在に至っています。
ご本尊の釈迦如来立像(重文)は5mを越えるとても大きなもの(撮影禁止なので写真はありません)。運慶湛慶父子の合作とされますが、後水尾天皇が暗殺者に襲われたときに身代わりとなったといわれ、このため「身代わり丈六さん」の名で篤い信仰を集めています。
またこのお寺は、伊東甲子太郎(いとうかしたろう)ら4名の御陵衛士(ごりょうえじ)の墓があることでも有名。
ときは幕末。新撰組を離脱し御陵衛士を結成した伊東甲子太郎は、勤皇倒幕のために近藤勇の暗殺を謀ったとされ、これを知った新撰組により油小路で殺害されます。さらに甲子太郎の遺骸を引取りに来た同士7人も新撰組の待ち伏せに会い、藤堂平助・服部武雄・毛内有之助の3名が殺害されてしまいます。甲子太郎ら4人の遺体はいったん壬生の光縁寺に埋葬されますが、明治元年(1868)にこの戒光寺に改葬されました。
残念ながら、御陵衛士の墓所は、今は特別許可がない限り立入禁止になっています。過去に「不心得な参拝者」がいたから、だとか。本当に残念ですね。皆さんマナーを守りましょう。
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