TOP > 洛東 >宮道神社
<宮道氏の祖神日本武尊を祀る>
宮道氏の氏神として平安時代に創建される。
宮道氏は宇治周辺を本拠としていた氏族。
醍醐天皇は弥益邸を建て替え勧修寺を創建。

住所 : 京都市山科区勧修寺仁王堂町
付近の見所 :勧修寺



(撮影 : 2010年3月28日)

● 写真をクリックすると拡大できます ●

宮道神社正面
宮道神社正面
本殿覆屋
本殿覆屋
手水舎
手水舎
筑波常偏の歌碑
筑波常偏の歌碑
三条右大臣の歌碑
三条右大臣の歌碑
由緒碑
由緒碑

宮道神社

宮道神社(みやじじんじゃ)は、京都市山科区の勧修寺(かじゅうじ)の、すぐ南にある小さな神社です。神社の創建は平安時代、あの菅原道真公が右大臣となった寛平10年(898)で、宮道氏の「祖神」とされる日本武尊(やまとたけるのみこと)と、その子の稚武王(わかたけるのおおきみ)を祀ったのが始まりといわれています。
宮道氏は当時宇治周辺を本拠としていた氏族・豪族で、道真公の左遷を決めたとされる醍醐天皇は、平安初期に宇治郡司を務めていた宮道弥益(みやじのいやます)の曾孫に当たります。このため宮道氏は皇室の庇護の下に栄え、また醍醐天皇は後に弥益邸を建て替えて勧修寺を創建することになります。
宮道神社には2つの歌碑が置かれていますが、そのうちの1つが三条右大臣の歌碑で、「名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな」と刻まれています。なお三条右大臣とは、宮道弥益の孫に当たる藤原定方(ふじわらのさだかた)のこと。 また2つ目の歌碑には、勧修寺住職筑波常偏による「清みましし 御祖のことも 偲ばれん 永久に鎮まる 宮道の社」が刻まれています。
拝殿・本殿はとても小さく、鳥居は頭を打つほどに低いのですが、とても美しく保たれた神社です。