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<わずか10年「幻の首都」の旧跡>
藤原種継の暗殺をきっかけに遷都が中止。
「大極殿跡」などが発掘発見されている。
史跡は住宅街に囲まれた公園となっている。

住所 : 京都府向日市鶏冠井町
付近の見所 :向日神社



(撮影 : 2011年1月1日)

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史跡長岡宮跡「大極殿公園」
史跡長岡宮跡「大極殿公園」
史跡長岡宮跡「大極殿公園」
史跡長岡宮跡「大極殿公園」
「史跡長岡宮跡」の石碑
「史跡長岡宮跡」の石碑
「長岡宮大極殿跡」の制札
「長岡宮大極殿跡」の制札
「長岡宮大極殿跡」の案内図
「長岡宮大極殿跡」の案内図
「史跡長岡宮 閤門跡」の案内板
「史跡長岡宮 閤門跡」の案内板
「史跡長岡宮跡 朝堂院公園」の看板
「史跡長岡宮跡 朝堂院公園」の看板
「史跡長岡宮跡 朝堂院公園」
「史跡長岡宮跡 朝堂院公園」

長岡宮跡

長岡京(ながおかきょう)は、平城京と平安京との間(784〜794)の10年間だけ、日本の首都であったところ(歴史の授業ではほとんどスルーされてしまいますが)。現在の向日市、長岡京市、京都市西京区にあったといわれています。
長岡京はすぐ近くを桂川や宇治川が流れていて水路に恵まれ、また下水の整備にも有利で、それまでの平城京にはない多くの利点を持っていましたが、新都建設の責任者であった藤原種継が暗殺されたことをきっかけに長岡京への遷都計画は頓挫し、わずか10年で改めて平安京への遷都が開始されることになります。
このため長岡宮は長い間「幻の都」とされていましたが、昭和29年(1954)頃より、高校教員であった中山修一氏(長岡京市に「中山修一記念館」があります)を中心として発掘が開始され、今までに「大内裏朝堂院門跡」「大極殿跡」「内裏内郭築地回廊跡」などが発見されています。
しかし写真でもお分かりの通り、長岡宮の「史跡」とされているところは、住宅に囲まれたごく普通の小さな公園。遺構といえるほどのものは殆どなく、かつてここで桓武天皇が政治を行っていたとは、とても思えません(おまけにここは長岡京市ではなく、隣の向日市。発掘された木簡などの遺物も「向日市文化資料館」に展示されています)。
はるばる遠くから「長岡宮跡」を訪ねて、「歴史のロマン」を胸にここへ来られる人も多いようですが、これではちょっと寂しいかも。