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<時代劇スター大河内傳次郎の別荘跡>
嵯峨小倉山の高台に広がる2万平米の名園。
京都市街と保津峡を見渡す絶景の地に建つ。
禅の境地を求めて創られた国指定文化財。

住所 : 京都市右京区嵯峨小倉山

付近の見所 : 嵐山常寂光寺二尊院御髪神社


(撮影 : 2012年4月12日)

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山荘入口(受付)
山荘入口(受付)
中門
中 門
大乗閣
大乗閣
持仏堂
持仏堂
滴水庵の前
滴水庵の前
滴水庵
滴水庵
散策路
散策路
散策路
散策路
保津峡も見えます
保津峡も見えます
満開の桜が美しい借景「嵐山」
満開の桜が美しい借景「嵐山」
京都市街と比叡山
京都市街と比叡山
桜に囲まれた休憩所
桜に囲まれた休憩所
大河内傳次郎資料館
大河内傳次郎資料館
大河内傳次郎の勇姿(資料館の中)
大河内傳次郎の勇姿(資料館の中)
お茶席
お茶席
お茶席で出されるお抹茶とお菓子
お茶席で出されるお抹茶とお菓子

大河内山荘

大河内山荘(おおこうちさんそう)は、サイレント時代から昭和にかけて活躍した、時代劇映画の名優で大スター、「大河内傳次郎(または大河内伝次郎)」が、その興行収入の大半を注ぎ込んで造営したといわれる、嵯峨小倉山の別荘地跡です。
大河内傳次郎は、明治28年(1898)福岡県に生まれ、昭和37年(1962)に64歳でこの世を去ります。
最初は実業家を目指したようですが、関東大震災で会社は倒産。劇作家に転じた後に映画界に入り、「国定忠治」や「丹下左膳」に主演してブレイクし、バンツマこと坂東妻三郎に並ぶほどの大スターとなりました。
中でも、彼の名を一躍有名にしたのは、彼の最初のトーキーもの(発声映画)であった「丹下左膳」。
彼は故郷福岡の豊前方言の訛りがひどく、「姓は丹下、名は左膳」という大事なセリフが、どうしても「シェイは丹下、名はシャジェン」となってしまいます。しかしこれがさかんに物マネのネタに使われて、ますます人気が上がることになります(落語家・桂三枝さんの「オヨヨ」も有名ですね)。
一方で彼は熱心な仏教信者でもあり、昭和6年(1931)、彼が30歳のときに京都洛西の小倉山に「持仏堂」を建立します。そしてこれを皮切りとして、この地に2万平米にも及ぶ広大な日本庭園を自ら設計し、後に「大河内山荘」と呼ばれる美しい山荘を造り上げます。
美しい庭園には大乗閣や滴水庵などの見事な建築物が置かれ、「名勝嵐山」を借景とし、眼下には保津峡や京都市街を見下ろすことができ、遠くに比叡山を眺める、といった贅沢過ぎる素晴らしい山荘となっています。
入園料は少し高いですが(抹茶とお菓子が付いて、大人1名1,000円でした)、来園者数が少なくなるため、庭園全体がとても美しく保たれ、静かにゆったりと散策を楽しむことができます。私が訪れたこの日は桜も満開。本当にキレイでした。