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<滝口入道と横笛の悲恋物語で有名>
小倉山のふもとにある浄土宗の寺院。
「祗王寺」のすぐ隣にある。
新田義貞公の首塚と妻の供養塔がある。

住所 : 京都市右京区嵯峨亀山町10-1
付近の見所 : 祗王寺二尊院



(撮影 : 2010年11月27日)

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寺院入口(このすぐ右隣が祗王寺です)
寺院入口(このすぐ右隣が祗王寺です)
参道は深い森の中
参道は深い森の中
新田義貞公の首塚
新田義貞公の首塚
義貞公の妻・勾当内侍の供養塔
義貞公の妻・勾当内侍の供養塔
横笛が血で歌を記したとされる石と碑
横笛が血で歌を記したとされる石と碑
本堂
本 堂
本堂の内部
本堂の内部
本堂に安置された滝口入道と横笛の木像
本堂に安置された滝口入道と横笛の木像
平重盛が祀られている小松堂
平重盛が祀られている小松堂
本堂の前にある平家供養塔
本堂の前にある平家供養塔

滝口寺

滝口寺(たきぐちでら)は、奥嵯峨の、小倉山のふもと。有名な祗王寺のすぐ隣にあり、 平家物語「維盛高野の巻」で語られる、滝口入道と横笛の悲しい恋の物語で有名な寺院です。
滝口入道とは、宮中の警護に当たっていた武士・斉藤時頼(さいとうときより)のことで、横笛は安徳天皇の母・建礼門院徳子に仕えた女性。
平清盛主催の宴で知り合った二人は、やがて互いに恋文を交し合う仲となりますが、時頼は父親から身分の違いを理由に交際を禁じられ、出家して横笛との未練を断ち切ろうとします。これを知った横笛は、時頼を捜し求めてあちこちの寺院を尋ね歩き、ある日この地(当時は三宝寺。今の滝口寺)で時頼の声を聞き、一目会いたいと門を叩いて懇願します。しかし時頼は涙を流しながら「会うは修行の妨げ」とこれを断り、横笛は泣く泣く都へと帰ることになります。このとき横笛は自分の指を切り、近くの石に「山深み 思い入りぬる柴の戸の まことの道に我を導け」と自分の気持ちを血で書き残したといわれ、寺院の境内にはその石が残っています(もちろん血の跡は残っていません)。その後滝口入道は、横笛への想いを断ち切るため女人禁制の高野山へと移り、これを知った横笛は悲しみのあまり川に身投げしたとか言われています。今のお寺の本堂には、二人の木像が仲良く並んで置かれています。
また滝口寺には、足利尊氏との戦いで討たれた新田義貞公の首塚と、その妻・勾当内侍(こうとうのないし)の供養塔もあります。三条河原で晒しものにされていた義貞公の首を、妻が密かに盗み出してここに埋葬したといわれています(但し、義貞公の首塚とか墓とかいわれるものは、群馬県桐生市を始め、全国数ヶ所にあるようです)。
滝口寺は、すぐ横の祗王寺に比べると参拝客の数は少ないのですが、歴史の悲話を今に伝えてくれる、簡素で美しい寺院です。