TOP > 洛中 >新玉津嶋神社と俊成社
<藤原俊成(定家の父)ゆかりの神社>
「新玉津嶋神社」は俊成が和歌山の玉津島
神社から歌道の神を勧請して創建した神社。
「俊成社」は俊成をお祀りする神社。

住所 : 京都市下京区玉津島町
付近の見所 : 平等寺(因幡薬師堂)



(撮影 : 2010年10月2日)

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【新玉津嶋神社】神社正面
【新玉津嶋神社】神社正面
【新玉津嶋神社】「北村季吟先生遺蹟」の石碑
【新玉津嶋神社】「北村季吟先生遺蹟」の石碑
【新玉津嶋神社】鳥居の扁額
【新玉津嶋神社】鳥居の扁額
【新玉津嶋神社】参道
【新玉津嶋神社】参道
【新玉津嶋神社】拝殿と本殿
【新玉津嶋神社】拝殿と本殿
【新玉津嶋神社】拝殿と本殿
【新玉津嶋神社】拝殿と本殿
【新玉津嶋神社】本殿
【新玉津嶋神社】本殿
【新玉津嶋神社】末社(天満宮と秋葉神社)
【新玉津嶋神社】末社(天満宮と秋葉神社)
【俊成社】歩道から見たところ
【俊成社】歩道から見たところ
【俊成社】社殿
【俊成社】社殿

新玉津嶋神社と俊成社

新玉津嶋神社(にいたまつしまじんじゃ)は、松原通と烏丸通との交差点を西に少し行ったところにある、小さな神社です。
「壇ノ浦の合戦」の翌年(1186)に、藤原定家の父で千載和歌集の選者として知られる歌人の藤原俊成が、和歌山の玉津島神社に祀られている歌道の神(衣通郎姫)を勧請し、自宅内にお祀りしたのが神社の始まりとされています。
江戸時代には国文学者の北村季吟がこの神社の神官を勤め、若き日の松尾芭蕉がここを訪れて季吟の弟子になったと言う逸話もあり、神社の前には「北村季吟先生遺蹟」の石碑が建っています。
神社の社殿は応仁の乱や天明の大火などで何度も焼失し、現在の社殿は明治8年に再建されたもの。
藤原俊成をお祀りしているのが「俊成社(しゅんぜいしゃ)」で、すぐ近くの烏丸通沿い(東へ30mの交差点から、南へ10m行った道路東側)にあります。神社というにはあまりに小さく、また祠が樹木に隠れて道路側から見えなくなっていますので、すぐ横を歩いていてもほとんど気付かないほどです。
なお、新玉津嶋神社の周囲は今も「玉津島町」、俊成社の周囲は「俊成町」とされています。
【ご利益(新玉津嶋神社)】:短歌・俳句・文章の上達祈願