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<足利将軍家代々の菩提寺>
立命館大学衣笠キャンパスの南隣にある。
夢窓国師を開山とする臨済宗の寺院。
庭園の一角には足利尊氏の墓がある。

住所 : 京都市北区等持院北町63
付近の見所 : 六請神社



(撮影 : 2011年3月19日)

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等持院山門
等持院山門
等持院境内にある「マキノ省三先生像」
等持院境内にある「マキノ省三先生像」
庫裏と方丈門
庫裏と方丈門
庫裏(拝観入口)
庫裏(拝観入口)
方丈にある達磨の絵
方丈にある達磨の絵
方丈の扁額
方丈の扁額
方丈(本堂)の内部
方丈(本堂)の内部
方丈と渡り廊下
方丈と渡り廊下
方丈南庭
方丈南庭
霊光殿
霊光殿
書院と西庭
書院と西庭
茶室「清漣亭」
茶室「清漣亭」
「司馬温公形」といわれる手水鉢
「司馬温公形」といわれる手水鉢
台座が六角の「等持院形」灯籠
台座が六角の「等持院形」灯籠
足利尊氏公のお墓
足利尊氏公のお墓
足利十五代供養塔
足利十五代供養塔
西庭にある芙蓉池(ふようち)
西庭にある芙蓉池(ふようち)
東庭の苔の上で日なたぼっこをしているネコ
東庭の苔の上で日なたぼっこをしているネコ

等持院

等持院(とうじいん)は、金閣寺・竜安寺などに近い「立命館大学衣笠キャンパス」のすぐ南隣にあります。
等持院は、足利尊氏が南北朝時代の暦応4年(1341)に建立した「等持寺」に続き、その2年後に「別院北等持寺」として建立された寺院です。開山は天龍寺の夢窓国師(むそうこくし)。尊氏の死後には尊氏の墓所となって「等持院」と改称し、臨済宗天龍寺の末寺となります。応仁の乱で本寺の等持寺が焼失してしまったため、別院であった等持院が本寺となり、足利将軍家代々の菩提寺となります。
方丈の渡り廊下の向こうにある霊光殿には、歴代足利将軍の木像がずらりと並べられています(霊光殿内は撮影禁止なので、残念ながら写真ではお見せできません)。幕末の文久3年(1863)には、尊王攘夷派の志士たちがこの霊光殿に押し入り、尊氏・義詮・義満の3人の木像の首をそれぞれ切取り、鴨川の河原にさらすという有名な「足利三代木像梟首事件」が起きています。
庭園はとても広く、いわゆる「池泉回遊式庭園」で、スリッパをはいて歩くことができます。庭は「芙蓉池(ふようち)」を持つ西庭と、「心字池(しんじち)」をもつ東庭とに分けられ、西庭の高台には茶室「清漣亭(せいれんてい)」があります。また西庭の一角には足利尊氏のお墓がありますが、将軍のお墓にしてはずいぶん小さくて質素で、とても意外な感じを受けます。
等持院は水上勉の小説「鴈の寺」の舞台となった寺としても知られています。水上勉は少年時代にこのお寺に寄宿していたのだそうです。
等持院はとても有名なお寺なのですが、観光客は割と少なく、その分ゆっくりと見学できます。「観光の穴場」といえるかも知れません。